情報コード  DYP2
情報登録日  2019/03/16
情報作成者  河井正治

.野球のインテリジェンス

1.ピッチングの科学 その2

・・・・剛速球はヌンチャク振り回し技術で・・・・                    

6.高校生ピッチャーの挑戦
 当時3年のピッチャーC君は、身長178cmで骨格もしっかりした運動能力の優れた逸材であった。その時点の彼の平均投球速度125km/時であった。表1は、C君そのときの投球データである。

           表1.計測データ(4月時点)


      

 陸上競技の100mが10秒00の速さは時速で36km/時に相当する。0.1秒間に1mの移動距離である。ビデオの1コマ0.0333秒間には30cmに相当する。それぞれの動作の移動距離データから、動作の速さのレベルがわかると思う。
 ピッチャーの球速を決めるのは、1)~5)の5つの並行動作での加速分の合計ということである。
 表から、並行的に行われる動作によって加速分の割合が異なることがわかる。これにピッチャーの球速アップのアプローチの極めて重大なヒントが隠れているのである。

7.手首のスナップ
 表1には、5)手首のスナップという項をいれた。「スナップを効かせた投球」ということを考えてみる。 テレビでの著名ピッチャーやコーチ・解説者からよく「スナップを効かせた投球」という言葉を聞く。

      図13.スナップを効かせる         図14.スナップを効かせると加速

 図13に、そのまま投げる場合と手首を使う(スナップを効かせる)投球を示した。手首を使う投球とは、投げる前に手首を後ろに反らせておき投げる瞬間に手首を前に曲げるという方法である。図14を見ると、そのままの場合ボールの移動は肘の旋回だけで行われて手首での加速はない。手首を使うと、当初後ろに反らせた手首がリリース時には前に曲げられるのでその分ボールが前に進み加速が行われる。手を後ろに反らせた時と前に曲げた時でボールに位置の移動は、身長170cmの筆者が自分の手で測ると約13cmであった。これをリリースの瞬間に1コマ位の時間に行うことができれば加速分は14km/時にもなる。C君は手首を全く活用していなかった。平均投球速度125km/時のC君が彼の大きな手の手首を使うと球速は多分140km以上となり、速球高校生ピッチャーに変身できることになる。
 
8.可動域という概念
 ここで重要なこととして、可動範囲という概念をあげたい。
 球を前に運ぶ速度を速くするということは、動く幅を大きくすることと動作を速く行うことである。速く行うことは訓練で筋力をつけることでなんとかできる。動く幅を大きくするということは、身体の各部の可動範囲をめいっぱい動かせて動作することで対応する。そうなると身体各部の動く範囲が加速の大きさを決めることになる。身体各部の動きの可能範囲が重要なのである。そして、可動範囲一杯の大きな動作をフル活用して大きな加速を得るという戦略が可能となる。ここでもう一度ピッチャーの投球速度を決める5つの動作について稼動域という視点で考えてみよう。

1)足踏み出しによる胴体移動分の加速
 足踏み出しによる胴体移動分の加速は、当初のC君の場合全体の29%も占めている。たった1歩の踏み出し動作で、球速の3分に1近い加速をしているのである。
 一般的に投手の動作は、この踏み出し1歩をなるべく大きな歩幅で力いっぱい踏み込んでおこなうのが良いと言われている。可動範囲は歩幅ということになるが、歩幅は選手の身体固有の長さである。選手はその範囲で精一杯踏み込んでいるので、その点で可動範囲を最大限活用していることになる。さらに脚力を効かせて動作の速さを確保している。ひ弱なピッチャーであったC君でも35.8㎞/時もの加速をしている。従来からのピッチャー育成でこの一歩の踏み込みの重要性がどのくらい認識されていたが知らないが、彼の例から見て今までの指導者が結構しっかりと実施していたと思われる。  

2)肩のローテーション
 肩の影響は少ない。可動域の制限のためである。図3は、投球動作を上から見た模式図で、頭は黒、両肩は赤線、手は黄土色で描いている。①は、投げる動作前の構え、②はリリース瞬間、③はフォロースルーである。
 右側の枠内のように、①と②を胴体(頭や首)で重ねた図を見てみると、構えのときでしっかり横を向いていても、リリース瞬間に肩は正面向きなので、可動域はせいぜい90°未満である。しかも、肩は胴体の一部で手の部分を背負っているので、首を中心の旋回(ローテーション)は、腕の旋回のように急速にはできない。緩慢な動作となる。この2点のため、肩のローテーションによる前方向への加速分は小さくなってしまう。C君の測定値でも8%しかなかった。さらに思考を進めると、あまり肩を大きく動かすと、手の位置が大きく変動するので投球コースのコントロールが難しくなってしまう恐れがあり好ましくない。この分での加速量はこの零度でもしかたないと考えられる。

              図15.肩のローテーションの可動域

3)上腕の旋回による肘の移動
 C君の場合、腕を振り回しての投球で、上腕部の旋回による肘の前進分は投球速度の15.8%であった。上腕の大きな筋力を最大限使える動作なので加速分も多いと思われるが、これも可動域の制限があって15%程度になってしまう。
           

            図16.上腕可動範囲   図17.腕の旋回の可動範囲

 自分でやってみるとよくわかるが、上腕部を上にあげて後ろに反らせても、自分の身体構造上そんなには後ろにそらせられない。ボールのリリース瞬間は直上あたりなので、投球動作での上腕の旋回範囲は限られてしまう。狭い可動範囲でも15%もの加速を行えるのは上腕の強い筋肉のおかげであろう。この動作での加速分を増やすのにはこの程度が限界だと思われる。

4)腕の旋回による加速
 C君のデータで47.1%も占めているのが肘の旋回によるものである。ピッチングにおける肘の旋回は最も重要な技術である。図17に腕の可動範囲を示したが、投球前の構えで肘を高くすると、可動範囲を180°近くも取れることがわかる。身体の各部の可動範囲をめいっぱい動かせて動作することで加速分を大きくすることを前述した。つまり、腕の旋回角を大きくすることはこの分での加速が大きいことになる。重要なことは肘を高く手先を低くし構えることである。図18.は、肘を高く上げた場合の腕の旋回角が大きくなることを示した模式図である。競泳界では、肘を高くして水を「かく」動作を「ハイエルボウ」と呼ぶ。この状態で動作すると、水を効率よく後ろに押せるからである。野球のピッチングでも、投球速度を上げるには、ハイエルボウの構えがいいということになる。図19は、左側がC君の投球動作の構えの状態の映像で、右側がプロ野球2018年度日本一のH球団のS投手の放送映像のリリース瞬間より1コマ前の構え時の映像である。この時電光掲示板に出た投球速度は162㎞/時であった。

           図18.ハイエルボウ        図19.C君とS投手の肘の高さ

 C君の場合は肘の低い構えであったのでこの時の腕の旋回角は78°であった。B投手の
放送映像からは、腕旋回角や加速分は正確には計測できないが、ハイエルボウ状態で投げている状況がよくわかる。もしC君がハイエルボウにして旋回角を30°大きくできると、腕の旋回による加速分が約73㎞/時となり、投球速度が140㎞/時を大きく超えることになる。スナップをきかせるのを加えると150㎞/時以上にもなるという夢のような予測ができる。

9.ヌンチャク効果
 例は悪いが、ヌンチャクという武器がある。よくアジア系の暴力団員などが振り回している武器である。図20に、武器としての破壊力を示した。

                   図20.武器ヌンチャク

 ヌンチャクは2~30cm程の金属製のバーをチェーンで繋いだものである。握りバーを持って振り回すと、握りバーの攻撃の最終段階の振り回しが止まりかかった時に攻撃バーが自身で急速旋回して相手に激突する。攻撃バーは手による振り回し旋回による速度に加えて、自身の旋回加速が追加されて衝撃力が大きく増し、強力な激突が行われる。単独棒での打撃より自分旋回の加速が加わっているので大きな衝撃力となる。握りバーの最終段階に持つ手を上に上げるか手前に引くとさらに攻撃バーの旋回が速くなり激突力が増す。ヌンチャクの破壊力増大のブラックテクニックである。

             図21.投球動作の腕の旋回はヌンチャクと同じ原理

 図21は、そのヌンチャクと同じ状況で投球動作の腕回転が実行されていることを示したものである。ヌンチャクは、振り回しの最終段階の手の動きの停止で攻撃バーが旋回を始めると、攻撃バー自身の旋回が短時間になるのでその加速力が増大して追加される。ピッチング動作の場合腕がヌンチャクの攻撃バーに相当すると考える。投球のリリース直前なので腕の旋回を短時間に行うことができ、極めて効果的である。ヌンチャク攻撃の攻撃バーのように腕旋回を短時間で行うにはコツがある。可動範囲を大きくするために肘を高くしたままの姿勢でリリース直前まで腕の旋回開始を我慢することが大切である。ヌンチャクのようにインパクトの直前で肘を下げて(肘で下方に引っ張るように)旋回速度を上げる工夫も必要である。実現するには、タイミングや動作そのものが大きく異なるので、繰り返し訓練で習熟するように努力することが大切である

10.配球コントロールができるか?
 表2は、C君の練習時の全力投球の計測値である。計測は手伝ってくれる女子マネージャーが(2年生)手持ちのスピードガンで測ったもので、信頼性が高いというデータではないが傾向はわかると思う。もちろん球種は直球である。

             表2.練習時の球速計測(計測投球数30球)


 C君は、ここまでの状況をよく理解してくれた。フォームの改善は、選手の自主性に任せた。競泳の北島選手の時の方式である。頭のいい選手には自分で考えて自分でトライするのが実現性が高いという経験則からである。ただアドバイスとして、考えていることをすべて一度に挑戦するのではなく、1つ1つ実現して、モノにしたら次のテーマに進むという方式で挑戦するように促した。
 C君は、手首のスナップ活用の実現が簡単であると判断、まず取り組んだようである。 5月中旬、1月経っての球速計測値はなんと練習時の平均球速が132㎞/時になっていた。わずか、7㎞/時の進歩であったが、C君は手がかりを掴んだようであった。ピッチング練習に立ち会うと、良いピッチャーらしい小気味良い音がチャッチャーミットから聞こえるようになったと感じた。
 C君はハイエルボウに挑戦することになった。2週間ほどして連絡があった。「先生、肘を高くして投げるとコントロールが決まりません。」 彼はコントロールには自信があった。それが定まらないのは大問題である。肘を高くするということは長らく習熟してきた投球フォーム自体の大変革で、短時間には実現できないということを痛感した。そのとき我々に与えられた時間はあと1月しかない。「肘を意識して高めにはするが、従来方式で投げる。コントロールを睨みながらすこしずつヌンチャク振り回しにしていく。」という方式で行くことになった。
 図22は、4月と6月の投球状況の変化の映像である。6月中旬の状況では、平均球速は135㎞/時まで成長した。試合まであと1月。フォームの改善はここまでになった。120㎞/時ピッチャーが135㎞/時を投げるようになった。

               図22.フォーム改善 4月(左)から6月(右)

 図22は携帯電話の画像であるが、6月をみると手首を後ろに反らせているようすがわかる。気のせいか、肘から上がなんとなく「しなっている」気がする。この「しなり」が大ピッチャーの第一歩に見えたのだった。

6.科学の力(テクノインテリジェンス)はスポーツの力
 解析で、ピッチングの並行に行われているボールを前に運ぶ5つ動作が球速を決めることがわかったと思う。速度ゼロのボールを高速に加速する技術は、多くの球技スポーツで重要技術である。テニスやバレーボールのサーブ、アタックなど、基本的には同じ状況である。5つの並行動作の中で、可動範囲の大きい「肘の旋回」技術は最も重要技術(テクニック・コツ)である。210㎞/時を超えるテニスサーブでも最重要技術である。他の4つの並行動作も検討してみる価値がある。バレーボールのドライブサーブでは、胴体移動での加速を得るためサーブ時に後方から全力疾走してジャンプしておこなう。バックアタックも後方からの疾走を利用する。色々な方面でのそれなりの高度な工夫をして戦っているのである。