随想

 この仕事をやっていると、日本のスポーツ界に多くのかかわりを持つことができた。様々な場面や局面に遭遇した。選手・コーチ・監督・スポーツ愛好者、、、、様々な価値観・人生感・生き方に触れることができた。そのたびに、多くの喜びを受け、悔しい思いをし、感動を覚え、涙をながしたり、、、と。
 これらのことがすべて鮮明に頭の中に残っている。これらは我が人生にとってかけがえのない貴重な財産である。このような財産を持てたことが最大の幸せだと感じている。
 今までの経験・感動・喜び・悔しさ・スポーツの世界・社会・世界・・・・いろいろな思いが頭に浮かんでくる。我が生き様を振り返りながら筆をとった。

 

 

1.スポーツ指導者に思う 2019年7月8日   情報コード:EZ1 (掲載中)   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1.スポーツ指導者に思う     2019年7月8日

情報コード  EZ1
情報登録日  2019/07/8
情報作成者  河井正治


1.人類の英知、スポーツの戦い
 若者がスポーツに打ち込んでいる姿は美しい。真剣な目つきといい、俊敏な動作といい、必死な息づかいといい、正に「生きる」ということを目の当たりにする。大きな感動がある。今の人間はスポーツが好きだ。熟年になっても、「からだのため」とスポーツに打ち込む人が多い。本当にいい世の中になってきた。
 人間の歴史をふりかえってみると、武器を持って戦うことの連続が記録されている。しかし今や、一部の野蛮な人々を除いて、戦いはスポーツの場になった。ワールドカップ・オリンピックなど、人類全体がスポーツの戦いに熱狂するようになった。戦いが平和なスポーツの場へと変わったのである。長い殺戮の歴史を経験してきた人類の知恵が大きな変革をもたらしたのである。平和な社会。スポーツを愛する人々。人類の英知が築いた素晴らしい地球の姿である。

2.スポーツ指導者
 スポーツは人間の生きるための動作活動にとっては特殊なものが多い。いきなり自分1人ではできない。そこで、上手に効率的にできるようなるために指導を受けるという状況になる。スポーツ指導者の誕生である。
 今の日本にはたくさんのスポーツ指導者がいる。子供を育成するスポーツの場での指導者、中学・高校・大学の教育の場でのスポーツ指導者、世界と戦うアスリートたちの指導者、社会人・熟年者の健康スポーツの指導者…………などなど。
 指導者とは人を指導する立場の人である。スポーツ指導とはその種目の技術の向上、戦い方の習熟、より上級者へとの誘導である。対象は人間。指導は、対象者がスポーツに求めているものの実現を、自分の経験や知識(インテリジェンスという)をもって支援するということである。つまり、対象者を理解し、対象者の立場になって、対象者の夢の実現を目指すというものであると思う。
 しかし現実には、指導者が、自分が偉い・自分中心・自分が親分・自分の立場維持、が当然だと勘違いしているケースがあとを絶たない。恥ずかしい指導者の不祥事が続いている。例を上げると、N大フットボールの監督、自分の立場を守るため特定の選手に反則して相手選手を傷つけるよう指示したケース。まだある、アマチュアボクシングの専務理事、「俺は男だ。偉いんだ。」と自分の所属した県の選手の判定を勝利にするよう命令。まだまだある、自分の教えた選手にヤキモチをやき、選手がオリンピック5連覇しないように妨害。まさに自分の教え子なのに…。セクハラ・パワハラの事件は日常的に目白押しである。このような自体が続出しているのに日本の社会は大した制裁はしないように動く。社会がよくない。国民がよくない。マスコミも問題があるのだろう。世界からみると本当に恥ずかしい事態なのである。

3.世界のスポーツ指導者
 このような事態を起こしている最大の原因は、日本のスポーツ指導者の質が悪いということである。勿論これは平均的な話で、中には尊敬でき感銘を受ける方々も多くいる。世界のスポーツ指導者の例として、私が1年間指導したアメリカのカルフォルニア大学 SantaBarbara校の水泳部(Swimming Teamと呼ばれていた)の様子を述べたい。この大学の水泳部はゴールドメダリストを何人も輩出している水泳の名門チームである。15年ほど前、私は日本の競泳界で培ったビデオとコンピュータ解析による選手の泳法診断技術(現地ではtherapyというそうである)のアメリカでの評価とアメリカの水泳事情の勉強のため5泊の日程で現地に伺った。大成功であった。高い評価を受け多くの選手が自己のベストを更新した。1回目は私の勉強としてこちらの費用でこちらからお願いして伺ったのであったが、2回目以降は先方大学から依頼されて大学の招聘で行うということになった。結局1年間に5回もカルフォルニアへ通うことになった。経費の関係で、滞在宿泊は水泳部監督グレッグ・ウイルソン氏のお宅にホームステイした。30泊ちかくもしたのである。この時始めてアメリカ人の一般家庭(敬虔なクリスチャン)の生活を経験し、貴重な体験をし、多くを学ぶことになった。

4.アメリカのスポーツ姿勢
 これまで日本のスポーツ界に浸かっていたのであるが、アメリカのスポーツ界は全然違っていた。大学スポーツは、日本と同じようにその大学の体育会が運営しているのであるが、体育会は正式に大学組織の中に有り、大学当局が運営していることになっている。建物や設備も大学が設置し、その運営費もすべて大学持ちである。大学が認めた20~30のスポーツ種目については監督を置き、監督はプロフェッサー扱いとする。助手雇用を認め、助教授扱いとなっている。体育会の建物はすべて大学校舎とし、監督にはプロフェッサー室を、助手も勤務用の個室がある。学問の研究室のように各監督には練習場(プール・体育館・競技場などなど)が与えられる。人件費や運営経費もすべて大学支出である。部員からは何も徴収しない。監督や助手の社会的地位は高く大学の教授・助教授とみなされる。当然ながらスポーツの監督や助手の指導者意識も高い。本を読んだり、絵を書いたり、楽器を奏でたり、当然かわされる話題もそうなっていた。日本の水泳指導者やコーチの多くが時間があればパチンコや競馬に熱中し、仲間との話もそれで持ちきりであることと対照的である。
 学生の意気込みも違っていた。カルフォルニア大学 SantaBarbara校は工学部が主体である。青色発光ダイオードでノーベル賞を受賞した日本のN先生もこの大学の人気教授である。学生は実験やレポート作成におわれている。カルフォルニア大学はこれをしっかりやらないと進学できない。そこで、毎日、朝晩行われる水泳練習は強制参加ではないことになっていた。学業優先なのである。時間が取れる人が練習に出るというルールなのである。あくまでも目標は6割以上の練習参加であった。アメリカの大学スポーツは本当にやりたい学生が参加することになっている。水泳をやりたいから「大学進学に必要な実験やレポート作成になんとか都合をつけて練習に出る」というのがチームのメンバーの基本的考えなのである。
 練習の場も日本とは大違いである。監督は「なんとか選手1人1人を強く上手にしたい。それには自分自身でやっていかなくてはならない。」という信念があった。そこで、その日の監督自身の作った練習メニューを練習開始前の選手全員をあつめて15分も説明をしていた。時には30分以上もかけていた。「今のこの時期この内容はこういう理由で取り入れた。選手は自分で考えて効果があるようにやってほしい。」と詳細にわたって説明していた。
 練習が始まると掛け声は助手に任せて、監督は黙って皆を観察するだけであった。手を抜いている選手に気がついてもまったく声をかけない。それは選手個人の考えでやっているからと信念があった。
 練習の合間や休憩時間に通路や更衣室で、ある選手と監督が身振り手振りで「かき方」水中動作についての議論をしている姿をよく目にした。選手の疑問に監督が答えていたのである。気楽に行われていた。日本で見かけるコーチの声「うるさい。このとおりやればいいんだ!」ではなかった。選手になんとかわかってもらえるように丁寧に動作をつけて時間をかけて話を進めていた。見ている私は、監督がなんとか選手にいいタイムを出して欲しいと真剣に取り組んでいるのだと感じた。この姿勢と話の進め方は、私のtherapy作業に大きな影響をおよぼすことになったと思う。この大学チームで1年間therapy作業をやった。英語の上手でない私は身振り手振りと単語の連発で意思を伝えた。それで十分伝わった。わかった彼らは素晴らしいタイムを出した。かってのゴールドメダリスト出したのも含めて大学チーム記録を全種目書き換えることになった。監督には「Great Job」という最高の賛辞を頂いた。全最終日には大学費用で反省送別会を実施してくれた。監督、ご夫人、助手、私、通訳の5人でカルフォルニアワインを20本以上も飲んだ。後日、お礼のメールの添付写真はその20本のワイン空きビンであった。


5.スポーツ指導はインテリジェンス
 日本のスポーツを世界のトップ水準に押し上げるのを阻害している最大の理由は、質の悪い指導者やコーチ達なのであると思う。カルフォルニアの大学監督のように「なんとか選手1人1人を強く上手にしたい。それには自分自身でやっていかなくてはならない。」ということを本気で思うことが重要なのである。選手の夢が実現できるように、精一杯支援するということである。それには、選手の夢を理解し、選手の身になって、選手にわかるように指導することなのである。
 「俺が偉い」のではなく、「俺の顔を立てる」のが重要ではなく、「俺の命令に従う」のが重要なのではなく、「選手の夢の実現」を支援するのが最重要なのである。
 勿論そのためには選手への思いやりも大切なのであるが、スポーツそのものに対する考え方も重要である。1例をあげる。昔、競泳国際試合の100mレースで、外国選手と80mまで競り合ったのだが力尽きて負けてしまった選手がいた。コーチがスタンドにいて私が隣にいた。彼は負けた直後「やっぱり80mでへばってまったな。100mまで持つように鍛え直さなくては。」といった。選手もレース後のインタビューで「80mでへばりました。もっと練習して100mまでもつようにしなくてはと思います。」といった。
 でも、今の競泳界は違う。「80mでへばるのは、泳ぎの効率が悪いからである。効率良い技術を高めて100mを戦うのが重要。」となっている。これがスポーツインテリジェンスなのである。コーチは担当する選手の夢を実現するためにもっと高度な知識や知恵を勉強しなくてはならないのである。インテリジェンス的な考え方を取り入れなくてはならない。
 本スポーツインテリジェンスアカデミーのデータベースの情報では、北島康介選手の世界との戦い、テニスの豪速球サーブでの解説などに世界との戦いの実例が記載されている。長い歴史を経た人類が獲得した英知、スポーツでの戦い。まさにこれはインテリジェンスの戦いなのである。
 今、昔風の考えで統治しているスポーツ指導側の方々にこのことをよく考えて欲しいと思う