情報コード  Dz4
情報登録日  2019/05/22
情報作成者  河井正治

Ⅰ .各種のスポーツに共通する科学 その4(手で押す技術)

・・・・テコの原理を考える・・・・

1.手で「押す」ことを科学する。
 スポーツの最も基本的なことは「進む」ということである。
 例えば球技はボールや玉を「進める」ことで行われる。野球について考えてみると、ピッチャーがボールを投げてそれを打者が打って行われる。投げる動作も打つ動作もボールを「進める」ことである。テニスや卓球もラケットで玉を打って、相手が取れない場合に得点が得られるルールとなっている。ボールを速く投げる、早く打つ、早く蹴る、などボールを速く移動させる技術は極めて重要な基本技術なのである。図1は、ボールを投げる動作の模式図である。投げるということは、手でボールを前に「押す」ということなのである。速く押せば速く飛ぶ。速球投手はそれだけ速くボールを押しているのである。
 陸上競技で走る種目(100m走、マラソンなど)は速く走ることで競われる。走るということは、自分の身体を速く前に「進める」ことである。図2は、走る動作の模式図である。走って前に進むには、足で地面を後ろに蹴っていることになる。早く走る選手はそれだけ早く蹴っているのである。競泳も同じである。決められた距離をいかに速く泳ぐかで勝負が決まる。速く泳ぐということは、水の中で自分の身体を速く前に「進める」ことである。
  


           図1.ボールを投げるには       図2.走って前に進むには  

 図3は、泳いで前に進む選手のスケッチ図である。手について考えてみると、泳いで前に進むには肩を中心に腕を回しながら「手をかく」動作をする。前に進むわけだから「水をかく」動作は、結果的に水を後ろに「押す」ことにより前に進むことになっているのである。
        


                      図3.泳いで前に進む

 今回はスポーツの重要な基幹技術である「手で押す」ということについて考えてみる。
 物理学には、動く物体には慣性モーメントという概念が考えられており、物体の重さが一定ならば強く押されればそれだけ速く動くという法則がある。難しい理論は置いて「強く押せば速く動くことになる」と考えていい。 

2.「テコの原理」を考えてみる。
 図4は、簡単なレバー方式の「テコの原理」を示したものである。黒い棒の右先端が三角形の台に固定されており、これを支点とし、棒の左側を上下させる状態のテコを考えてみる。支点からMcm離れた力点にGkgの力を下向きにかけると、支点からLcm離れた作用点には下向きにFkgの力がかかる。力点と作用点における力と支点からの距離に関しては
              Fkg × Lcm = Gkg × Mcm  
 という関係がある。これが「テコの原理」である。だれもが知っている簡単な基本的原理である。

                      図4.テコの原理

 図4の下段の図で実際の数値を入れてみると、支点から10cm離れた力点に40kgの力を下向きにかけると、支点から40cm離れた作用点では下向きに10kgの力で下向きに押されるということになる。
 極めて簡単な計算である。しかし、スポーツの世界ではこの「テコの原理」が極めて重要な要素となる。しかし残念ながら、現状では多くの選手やコーチがその重要性について考えていないような気がする。

3.押す動作に「テコの原理」を考えてみる!
 手で押すということを、「テコの原理」に当てはめてみると、図5に示すようになる。選手が肩関節、上腕と腕を伸ばした状態を想定すると、上腕と腕の骨は1本の棒(レバー)と考えられる。手先を下に押し下げる動作では、引っ張る力がいわゆる大胸筋の収縮で行われる。大胸筋が骨に接続するところが力点となる。大胸筋が収縮して手を下に引っ張ると、骨のレバーが肩関節を中心に左回りに回転を始め、手のひらあたりで下に押す動作となる。肩関節と大胸筋の間隔Mは選手固有の値で一定である。大胸筋の収縮力Fも選手固有で一定である。手の伸ばした状態での肩から手先までの距離Lは、手の伸ばし状態や肘曲げ状態で異なってくる。手で下に押す力Gは「テコの原理」に従ってF×M=G×Lとなって決まる。

              図5.手伸ばし状況での「テコ原理」

 

 

    図6.手伸ばし肘曲げ状況での距離Lの違い      図7.肘曲げ状況の模式図

 図6に手伸ばし状況での距離Lの違いを示した。肩から大胸筋と骨の結合する位置までの距離Mと大胸筋の収縮力Fは選手固有で一定である。もちろんMは簡単には変えられないが、Fは訓練次第で大きく筋力を増強できるのは周知である。しかし動作を実施しているこの時点では一定である。重要なことは、手先と肩関節の距離Lが手伸ばし状況で大きく違ってくることである。F×Mは一定なので、G×Lで決まるMの値がLの変動により大きく違ってくるということである。Mは手で押す力である。手伸ばし肘曲げ状況で押す力が大きく変動するということである。図7に、肘曲げの違いでの状況を模式図で示した。目視で分かるが、肘曲げの大きさでLが数倍も違う状況であることが推察される。ということは手の平で押す力は肘曲げで数倍の変動があるということになる。あらゆる競技の球を押す(打撃も含め)こと、身体を速く移動するための手や足の押し、関節と押し場所との間隔状況で、押す力が数倍になるということである。
 「テコの原理」を考えるということは、スポーツの成果を決める極めて事項なのである。

4.違いを体感してみる! 
 手で押す位置による発揮できる力の差の体感実験をしてみよう。図8の一番左の図のように、机に座って、右手を卓上に置き机面を押す体制を取る。左端の図は正面からである。赤丸でかこった左から2番目の図は側面からである。椅子に座って背筋を伸ばし、右手をおへそあたりのすぐ近くに置き、肘を立てて、卓上面を下に押して立ち上がる。この際膝が痛んで足だけでは立ち上がれないようにと想定し手で下に押してそれを支えにして立ち上がるというトライをする。手で十分に下に押すと、左から3番目の図のように。なんとか立ち上がれると思う。

    


               図8.手で押す位置での力の差の体感実験

 今度は、赤丸をつけた一番右図のように、手を卓上の身体から遠い位置に置いてみる。ここで卓上を下に強く押して立ち上がろうとしてみよう。まったく押せないのが分かると思う。同じ筋力でも、押す位置が違うとこんなに力の発揮状態が違うのである。体感できたであろうか。左赤丸図は、図7の手の位置が身体に近い状態の場合である。右赤丸図の場合は、図7の身体から遠い位置で押している状態である。目見当では、手と肩関節の距離がちかいときは遠いときの6割くらいであろう。ということは、遠いときの押す力は、この場合近いときの6割しかないことになる。つまり、肩関節から遠いところで押すと、6割ほどの力しかかけられないことになる。
 押す位置によって発揮できる力が何倍にも大きく変動することが分かったと思う。
 これはスポーツ動作にとって極めて重要な技術なのである。

5.競泳技術で考えてみる! 
 泳ぎの中でクロールが最も速い泳ぎだと言われている。どんな泳ぎでもいいから一番速く泳いで勝負するという自由形種目では、ほとんどの選手がクロールのスタイルで泳ぐ。事実、動作解析や流体解析などの高度な解析技術を使って調べてみてもクロールが最も効率のいい泳ぎだという結果が出る。
 そのクロールの泳ぎでは前に進むための加速度の主要な動作が「手のかき」である。詳細は競泳の項で解説するが、クロールの「手のかき」はどうやって巧みに水を後ろに押すかということがポイントとなっている。「手のかき」による加速状況を調べてみると、片手の「かき」動作で、キャッチとフィニッシュの2つの局面で大きく加速していることが分かった。特にフィニッシュ動作は「かき」の後半にあたり、手の平で直接水を後ろに押す局面である。前に進むための加速が最も大きくなる局面である。20年に及ぶ泳ぎの技術の研究で、このときの手で後ろに押す位置が極めて重要であることがわかった。


   図9.フィニッシュ動作時の手の位置           図10.手の位置の模式図

 図9は、当時の世界記録保持者ソープ選手(オーストラリア)と2003年度日本選手権優勝者のA選手の右手フィニッシュ動作開始直前の水中映像である。2人とも男子200m自由形決勝の映像である。ソープ選手は福岡で行われた世界選手権でこの時世界記録を樹立した。A選手はソープ選手の約6秒遅れでゴールして優勝した。このときは日本の自由形記録はこんなにも世界に後れを取っていたのである。図9を比べてみると明らかに手の平による後ろへの水押し位置の肩関節からの距離が大きく違うことがわかる。図10はそれを模式的に描いたものだが、倍近くも違うように見える。日本選手はソープ選手の水押し力の半分程度しか押していないのである。これではスピードは上がらない。図11をみると違っていることがわかる。世界記録と6秒もの差、距離換算で15mもの差、これが生じているのはまさに水押し位置の差なのであった。この詳細は、水泳の項のクロール編で解説する。
       


                     図11.水押し位置の違い

6.野球のピッチングで考えてみる!
 ピッチングで考えてみよう。野球の項で詳細に解説するが、ピッチャーの球速を大きく左右するのは、ヌンチャク振り回し技術と、リリース瞬間の球押し位置である。
図13の上の2枚の画像は、プロ野球2018年度日本シリーズのH球団S投手のリリース瞬間前後のテレビ放映映像である。この時掲示板に記録されたS投手の球速は152km/時であった。さすがプロ選手の実力である。下段の2枚の映像は、野球の項で解説してあるA県B高校のC投手のリリース前後のビデオ映像である。練習時で128km/時の投球速度であった。平凡な1高校野球投手の映像である。
 

        図12.手位置の模式図           図13.リリース前後の手の位置 

 図12は、リリース瞬間の肩関節を中心とした腕の状況の模式図で、図7や図10に相当する。投球動作で、リリース直前は、投手の手の力で最も強く球を押す瞬間である。ここで強く押せればそれだけ球速は速くなる。図12では、S投手とC君のリリース瞬間の手先の位置を示した。わざと白球を見えるように描いた。図13の右の図は両選手の映像から作った両肩結び線(赤)と上腕・腕 (青)のスティック図である。肩は赤■、手先は青●で表した。図12を見ても、図13の右図を見ても、あきらかに肩と手首の距離が両者で大きく違うことがわかる。今までの解説で、肩関節と手のひらが近いと強く押せる。遠いと弱くなってくることはわかっていると思う。S投手のほうがリリース瞬間には圧倒的にボールを強く押しているのである。強く押せば球速は上がる。ヌンチャク振り回し技術に加えて強くボールを押す技術が加わって150km/時以上の剛速球が生まれているのである。この詳細は野球の項のピッチングその3に解説する。

7.テニスのサーブ打ちで考えてみる!
 ラケットでボールを打つテニスでも、肩関節と手首の距離の違いで打球速が大きく違ってくる。図13は、サーブ動作でボールヒット前後のビデオ映像である。上段は錦織選手のサーブ練習時のもので、このときの打球速は170km/時弱であった。下段は剛速球と評判の高いラオリッチ選手の2016年度全米選手権の試合中の映像である。この時の打球速は210km/時を越えていた。50km/時もの速度差がある。詳しくはテニスの項の高速サーブ打法編で近々解説する予定である。テニスサーブはラケットを振り回してボールに当てる動作をするのでヌンチャク振り回し技術が重要である。打球速が200km/時を越すようなサーブでは、それに加えてラケットを介してボールと強く押す技術が重要となる。ボールの加速がラケットを介して行われるのであるが、そのラケットを保持し振り回し加速を促しているのは手首である。手首が前に出てその動きが加わってラケットでボールを押して (打って)いるのである。そう考えるとやはり、ボールヒット瞬間の肩関節と手先(手首?)の距離が重要となってくる。

     

            図14.ボールヒット前後の手の位置   図15.肩と手首の距離の違い

 図15は図14の映像から作ったスティック図である。前後のスティック図の肩と手首をつないで点線で示した。手首の移動はピンク点線、肩の移動は黒点線である。錦織選手は両線が広いままで手首を移動させているが、ラオリッチ選手は手首が肩の近くを移動して強く押し、その勢いでラケットをボールに当てている様子がよくわかる。やはり、ラケットを介してボールを強く打っているのである。これが剛速球打撃技術なのである。
 余談であるが、テニスの解析で錦織選手を調べていると、世界のトップ選手に対し配球や守備移動などなど様々なところで技術的に未熟である結果が出ている。対戦型スポーツでは、動作技術の優劣に加えて相手との駆け引き能力が求められる。錦織選手がこの程度の技術で世界トップと戦っているのは、相手との駆け引き能力が天才的に優れていると思う。しかしこれではトップには立てない。もしサービスエイスを取ると、動き回らなくて済むので体力を温存できる。体力的に劣ると言われている錦織選手はなぜ200km/時サーブを訓練し、サービスエイスゲットを武器にすることを考えないのであろうか。練習やコーチの目の付けどころに大きな疑問が生じる。本当に世界一を目指すアプローチにはほど遠い。今、スポーツインテリジェンスを考えない選手は世界に通用しないと考える。
 女子の大阪なおみ選手はパターンが違う。色々な点で技術的に優れていると思われる。特に配球問題は天才的である。世界一になっても不思議ではないと思う。ただ、相手との駆け引き能力についてはまだまだ訓練の必要がある。彼女の致命的弱点である。
 錦織選手や大阪選手についてのこの部分は「一スポーツインテリジェンス研究者のつぶやき」という程度に留めてほしいと熱望する。

8.「手で押す技術」は多く人がいまだ気がついていない最重要ポイントである!
 押す位置で発揮できる力が何倍も大きく違うことは、体感実験でわかったと思う。
 陸上のフィルド種目で最も力のいる砲丸投げ。・・・構えでの砲丸の位置を肩関節のすぐ隣にする。手で押す力が最大になるところなのだ。選手は経験でそこが一番力を発揮できることを知っているのである。
 球技で球を速く移動させるにはその原動力は手(足?)である。「手で押す」のは、「押す位置」で何倍もの効率の差が生じる。筋肉トレーニングを励んでも筋力は数割程度増すのにすごく時間がかかる。しかし、押す位置はすぐ変えられる。
 競泳や陸上のトラック競技では、速く走ったり泳いだりするための自分の身体をどうしたら速く移動させるかが勝負である。
 競泳の100m自由形は15年前には世界記録との差が3秒近くもあった。水を押す位置が大きく変わった日本の水泳界。今の差は1秒を切って、世界に追いつきそうになっている。これがスポーツのインテリジェンス追及の成果なのである。