情報コード  DSK2
情報登録日  2019/05/20
情報作成者  河井正治

1.水泳共通のインテリジェンス
 
1.「水を押す」科学 その2.テコの原理

      ・・・・テコの原理を考える・・・・

1.後ろに押す
 競泳は決められた距離をいかに速く泳ぐかで勝負が決まる。速く泳ぐということは、水の中で自分の身体を速く前に「進める」ことである。
 競泳動作のうち手について考えてみると、速く泳ぐために、「手をかく」動作で水を後ろに「押す」ことにより身体を前に進めることを行っている。
 物理学には、動く物体には慣性モーメントという概念が考えられており、物体の重さが一定ならば強く押されればそれだけ速く動くという法則がある。難しい理論は置いても、「強く押せば速く動くことになる」と考えていい。
 競泳の重要な基幹技術である「手でかき」で「水を後ろに押す」ということについて1-1では押す方向について考えてみた。今回は「押す位置」について考えてみたい。
 スポーツ共通 その4(手で押す技術)で解説したように「テコの原理」が重要となる。

2.「テコの原理」を考えてみる。
 重複するが、まずて「テコの原理」を考えてみる。図1は、簡単なレバー方式の「テコの原理」を示したものである。黒い棒の右先端が三角形の台に固定されており、これを支点とし、棒の左側を上下させる状態のテコを考えてみる。支点からMcm離れた力点にGkgの力を下向きにかけると、支点からLcm離れた作用点には下向きにFkgの力がかかる。力点と作用点における力と支点からの距離に関しては
           Fkg × Lcm = Gkg × Mcm   
                        という関係がある。これが「テコの原理」である。


   
                    図1.テコの原理

 図1の下段の図で実際の数値を入れてみると、支点から10cm離れた力点に40kgの力を下向きにかけると、支点から40cm離れた作用点では下向きに10kgの力で下向きに押されるということになる。
 極めて簡単な計算である。しかし、スポーツの世界ではこの「テコの原理」が極めて重要な要素となる。しかし残念ながら、現状では多くの選手やコーチがその重要性についてあまり考えていないようである。

3.手で押す動作に「テコの原理」を考えてみる!
 手で押すということを、「テコの原理」に当てはめてみると、図2に示すようになる。


     図2.手伸ばし状況での「テコ原理」    図3.肘曲げ状況の違い

 選手が肩関節、上腕と腕を伸ばした状態を想定すると、上腕と腕の骨は1本の棒(レバー)と考えられる。手先を下に押し下げる動作では、引っ張る力がいわゆる大胸筋の収縮で行われる。大胸筋が骨に接続するところが力点となる。大胸筋が収縮して手を下に引っ張ると、骨のレバーが肩関節を中心に左回りに回転を始め、手のひらあたりで下に押す動作となる。肩関節と大胸筋の間隔Mは選手の成長段階で決まり固有の値で一定である。大胸筋の収縮力Fも選手固有で一定である。手の伸ばした状態での肩から手先までの距離Lは、手の伸ばし状態や肘曲げ状態で異なってくる。手で下に押す力Gは「テコの原理」に従ってF×M=G×Lとなって決まる。
 図3に肘曲げ状況での距離Lの違いを示した。肩から大胸筋と骨の結合する位置までの距離Mと大胸筋の収縮力Fは選手固有で一定である。もちろんMは簡単には変えられないが、Fは訓練次第で大きく増強できるのは周知である。しかし動作を実施しているこの時点では一定である。重要なことは、手先と肩関節の距離Lが手伸ばし状況で大きく違ってくることである。F×Mは一定なので、G×Lで決まるMの値がLの変動により大きく違ってくるということである。Mは手で押す力である。手伸ばし肘曲げ状況で押す力が大きく変動するということである。人間の動作で肘曲げの大きさ大きく違うことが容易に推察できる。場合によってはLが数倍も違う状況もある。ということは「手のかき」の動作状況で手の平で後ろに水を押す力が肘曲げで数倍の変動があるということになる。

4.「手のかき」動作での後ろへの水押しを考えてみる! 
 クロール泳ぎでは前に進むための加速度の主要な動作が「手のかき」である。クロールの「手のかき」ではどうやって巧みに水を後ろに押すかということがポイントとなっている。
「手のかき」による加速状況を調べてみると、片手の「かき」動作で、キャッチとフィニッシュの2つの局面で大きく加速していることが分かった。特にフィニッシュ動作は「かき」の後半にあたり、手の平で直接水を後ろに押す局面である。前に進むための加速が最も大きくなる局面である。20年に及ぶ泳ぎの技術の研究で、このときの手の後ろに押す位置が極めて重要であることがわかった。


    図4.フィニッシュの水押し位置          図5.側面からの模式図  

 図4は、ソープ選手(オーストラリア)と2003年度日本選手権優勝者のA選手の右手フィニッシュ動作開始直前の水中映像である。2人とも男子200m自由形決勝の映像である。ソープ選手は福岡で行われたこの年の世界選手権で世界記録を樹立した。A選手はソープ選手の約6秒遅れでゴールして優勝した。この時代は日本の自由形記録がこんなに世界と後れを取っていたのである。図4を比べてみると明らかに手の平による後ろへの水押し位置の肩関節からの距離が大きく違うことがわかる。手の位置が身体より大きく離れているのである。


   図6.ソープ選手の水押し位置       図7.日本選手の水押し位置

図6はソープ選手の水押し位置と腕の曲げ状態で、図7は日本選手の状況である。目視では倍近くも違うように見える。日本選手は力一杯水を後ろに押しているが、「テコの原理」で押す力はソープ選手の半分程度しか出ていないのである。これではスピードが上がるはずがない。日本選手は近年、欧米選手に比べて体格的にも体力的にもそう劣っていない。筋トレも十分である。たぶん筋力もほとんど変わりないであろう。これだけのタイム差が生まれていたのは、知識とそれに伴う技術力の差なのであろうとこの時痛感したのであった。

5.実際の例
1)「手のかき」による水押し位置の改善による成功例!
 「手のかき」による水押し位置の改善は20年以上にわたる経験の中で大きな成果を上げることがわかった。兵庫県の国体選手強化のお手伝いをしたとき、姫路市沖の瀬戸内海の離れ小島からきた自由形クロールの女子中学生のエピソードをあげてみたい。人口3000人のこの島の中央に、村長が頑張ったおかげで、村民の健康維持のためのインドアプールが建設された。そのプールで一生懸命に泳いでいた中学2年生の女子A選手がなんと兵庫国体候補選手に選ばれたのである。100m自由形長水路のベストタイムが1分1秒21であった。中学2年生の女子のタイムとしては当時のトップ水準に近い。国体候補選手に選ばれて当然である。「優れたコーチもいない離れ小島のプールでの練習でよくこのタイムを出したな。」と感心されていた。しかし、国体少年B女子部門は中学3年生と高校一年生が対象である。1分を切らないと決勝には残れない。厳しい目標が課せられることになった。
A選手が中学2年生になりたての5月の地区大会での泳ぎを撮影した。

             図8.A選手の1年間の変遷

 図8の左側がA選手の「手のかき」動作のフィニッシュ開始あたりの映像である。水押し位置が肩から遠く素面から深いところで行われていた。「これはいける!2007年秋の国体には間に合う。」と内心微笑んだのを今でも覚えている。経験からこの改善には時間がかからないことがわかっていた。選手によく状況と対策を説明して理解してもらい、肘曲げの泳ぎ方を工夫するよう指摘して練習を開始した。案の定数週間で改善が認められるようになりメキメキとタイムが向上していった、1年後の地区大会ではなんと59秒台で1分を切るタイムが出たのである。その時の映像が図8の右側である。
 実際の国体レースは、中3高1が一緒の少年Bクラスで、高校生が実力を発揮する舞台であり厳しかった。A選手は予選をクリアして、決勝では50秒25という自己ベストの素晴らしいタイムを出したが、3番以内(水泳界では「お立ち台に立つ」という)には入ることはできなかった。
 しかし、彼女の活躍で、「手のかき」による水押し位置の改善が効果を上げることを実感し嬉しかったのが鮮明に記憶に残っている。
 彼女はその後、高校(島内にはない)へ進学して競泳をやめてしまった。瀬戸内海の風光明媚なおだやかな島でおっとり育った少女には、タイム差に明け暮れる勝負の世界は合わなかったのかも知れない。今でも心残りなのだが・・・・・。

2)ヘルプス選手のバタフライ
 図9は、アメリカのフェルプス選手が世界記録で泳いでいた全盛期の頃の練習映像である。ちょうどフィニッシュに入る直前の映像である。注目して欲しいのは手の位置である。やはり、手と肩の距離が近い。当時にほんの選手は大多数がもっと遠い(水面から深い)位置でかいていた。世界記録を連発していたフェルプス選手は、やはり力強く後ろへ水を押していたのである。
        


          図9.フェルプス選手のフィニッシュ動作


6.押す位置の重要性!
 図10は手と肩の距離が押しの強いかひ弱かを決める決定的要因であることを示した図である。簡単に思っていた「テコの原理」は速く泳ぐための重要な原理なのである。
            


            図10.強い「押し」とひ弱な「押し」

 手で後ろに押す位置が極めて重要であることがわかった。強く押せば強く加速できる。当然強く加速すれば、早くなりタイムアップができる。しかし、同じ筋力を持っていても、必ずしも強く押せないのである。 スポーツ共通 その4(手で押す技術)の図8.手で押す位置での力の差の体感実験で解説した体験をしてみよう。押す位置でこんなにも発揮できる力が違うことがわかると思う。
 これは知恵である。この知恵を実際の君の泳ぎに適用する努力をしてみよう。タイムアップを目指せ!これがまさにスポーツインテリジェンスなのである。