情報コード  DE2


情報登録日  2019/03/15
情報作成者  河井正治

  Episode Ⅱ 

・・・・「思う」ことから始まる!・・・・                        

1.北島康介選手の驚異的な成長
 表1は、北島康介選手の泳ぎの成長の記録である。選手は体力や技術力の成長とともに記録が向上する。そしてその成長が終わった段階で記録の向上も止まる。その時これが生涯ベストタイムということになる。北島選手をみるとその記録向上が世界記録までになった。並みの選手ではないことがよくわかると思う。
 これだけの才能に恵まれて世界記録を達成するまでの背景には、彼の強烈な世界記録への情熱があった。世界記録への強い憧れ。彼のその「思い」が前人未到の偉業を実現することになった。
      
 表1.北島選手の進歩の記録
---100m平泳ぎ---   (現在日本記録 58秒91 )
 1997年8月 中学3年  全国中学      1分5秒54
 1998年8月 高校1年  高校総体    ① 1分3秒00
 1999年6月 高校2年  日本選手権     1分2秒73
 2000年4月 高校3年  日本選手権   ② 1分1秒31 (日本記録)
 2000年10月  シドニー オリンピック     1分1秒34
 2001年7月 大学1年  01世界選手権     1分0秒61 (日本記録)
 2002年8月 大学2年  パンパシ大会    1分0秒31 (日本記録)
 2003年4月 大学3年  日本選手権     1分0秒07 (日本記録)
 2003年8月       03世界選手権     59秒78 (世界記録)
 2008年8月  北京   オリンピック      58秒91 (世界記録)
  
2.「進行停止問題」を見事克服!
 平泳ぎの技術でもっとも重要なのは「進行停止問題」と解説した。データベースの競泳平泳その1「進行停止問題」、その2「一直線」をご参照いただきたい。
 彼の驚異的タイム向上を振り返ってみる。

1)表1.の①ステップ
 私が北島康介選手と出会ったのは1997年9月のことであった。私のコンピュータを使った映像解析による泳ぎの分析手法が水泳界に認められてきた頃である。当時彼は中学2年生でTスイミングクラブに所属していた。8月には1分5秒54というタイムで全国中学水泳大会の男子100m平泳ぎで優勝したそうであった。その直後なのでクラブ内では大変な注目をあびていた。担当のコーチ(ナショナルチームの強化仲間で親しかった)から彼を技術的に評価して欲しいと申し入れがあったので、出向いて初めて北島選手と会うことになった。彼は仲間とは明るく剽軽であったが、我々には寡黙な少年であった。彼の泳ぎを水中撮影しコンピュータで分析した。全中で優勝しクラブ内で騒がれているとは言っても、1分5秒台というタイムは世界標準(当時の世界記録は1分0秒台)からは程遠い状況であった。世界を目指しているわれわれにとって三流タイムにしか見えなかった。調べてみると、図1の上図はそのときの「足引き」映像である。キックのための足引きで、お尻とかかとの間隔が21cmと極めて深いことがわかった。そのため進行停止時間は0.16秒と長い状況であった。世界のトップ水準の停止時間は0.1秒を切っている。当時の世界記録保持者は0.07秒で、康介選手との差が0.09秒もあった。100mで約50ストロークするレースでの総停止時間は、世界記録保持者は50×0.07秒=3.5秒となるが、康介選手は50×0.16秒=8.0秒となり、4.5秒もの差がある。これではとても世界とは戦えない。この時点での私の判断は、「こんなに深く足を引かなければ強いキックができないということは、多分平泳ぎのセンスがない。まだ中学生なので時間がある。自分にあった種目に転向したほうがいい。」であった。「全中では勝ったけれど君の平泳ぎ技術は大したことがないと思う。他の種目に転向したらどう。」と忠告をした。今考えると、世界を驚かせた平泳ぎのこの大選手に、恥ずかしくもなくこんなことを言ってしまった未熟さに大反省である。しかしその後、彼に平泳ぎの進行停止問題を説明し、「もし平泳ぎ種目を続けたいのなら、足引きを浅くして強いキックができるように訓練するしかない。」と原理と対策を解説した(「進行停止問題」の対応策2、「浅い足引き」)。彼は黙って真剣に聞いていた。

                        図1.足引きの変化
         
 翌1998年彼は高校生になっていた。そして、その夏初めて出場した高校総体(インターハイ)の男子100m平泳ぎで、1分3秒00という日本歴代3位という大記録で優勝した。9月になって予想通りTスイミングの例の担当コーチから電話があった。「康介選手がなぜこんなに凄いタイムを出したか調べて欲しい。」とのことであった。再び彼の泳ぎを水中撮影しコンピュータで分析した。その結果、図1の下図のように、足引きが浅くなっていたのである。測ってみると27cmであった。浅く引いても強いキックをしている。足引きが浅くなったので、進行停止時間の計測値は0.12秒と短くなっていた。この時のレースでは、前半27ストロークm後半は29ストロークの合計56ストロークというピッチ泳法であった。その前年との停止時間差は0.16-0.12=0.04秒なので、短縮時間は 0.04×56 =2.24秒 となった。前年の1分5秒58とこの時の1分3秒00との
タイム差は2,58秒なので、タイムアップは、ほぼ停止時間短縮によるものであった。彼は才能がないのではなく「足引き」の重要性を知らなかったのである。後にA新聞の記者のインタビューで、「いわれて自分でしっかり練習した。」と語ったそうである。コーチはそのことを知らなかったようである。
 私はこの時点で、「おっ!これは凄い選手になるかも。」と感じたのを覚えている。テクニックの内容をじっくり聞いて、それを自分でものにしてしまうという才能。後の大活躍の片鱗が見えたできごとであった。

2)表1の②のステップ
 表1に見られるように、その翌1999年、高校2年生になった北島選手は日本選手権の100m平泳ぎ種目で第3位になった。タイムは、技術の向上があったわけではないので1分2秒73と0.27秒伸びただけであったが、とにかく全日本の表彰台に上がることができた。でも、彼が悔しかったのは自分より速い選手が2人もいたことである。1位は当時の日本記録(1分1秒73)保持者の林亨(アキラ、大分)、2位は福岡の今井選手であった。なんとしても日本一になりたい。コーチと北島選手の情熱が燃え上がった。表彰式の後プールサイドで、どうするか3人で話し合ったのが記憶に残っている。真剣に「どうしても1位になりたい」。私は、「進行停止問題対応策4のストロークを少なくする。」を提案した。DB平泳せの2一直線技術 をご参照いただきたい。対応策4は原理的に速くなるのだが、ストロークの少ない泳ぎはゆっくり泳いでいるように見え、選手にとって採用するには抵抗感が大きい。そこで、原理を詳しく説明することより、行きのストロークを21帰りを23で泳げるようにと提案した.当時は行き27ストローク、帰り29、合計56ストロークもやっていたのである。彼らは例によって寡黙的に「わかった。」との一言であった


                   図2.ストロークを長くする

 平泳ぎのタイムアップのため総停止時間を減らすには、1ストロークあたりの停止時間を減らすことで実現できるのだが、解説した通り1ストロークの停止時間が多少長くてもストロークを減らすことが出来れば、停止時間を減らせることになる。どうしても停止時間短くできない場合のハンデキャップは解消できるというのが対応策4であった。 
 おさらいに図2を見てほしい。図の左側に示す平泳ぎの標準的1ストロークのサイクルは、足ひき(リカバリー)、キック、一瞬の一直線姿勢(伸び)、かき、そして足ひきへ戻るというものである。一直線姿勢は通称「伸び」と言われて、抵抗のない姿勢で惰性進行するという極めて重要な部分である。一瞬でも一直線姿勢取ることが重要であると言われている。図2の右側の流れのように、惰性進行部分を長くすると1ストロークでの進行距離を長くできる。長くなればレース全体のストローク数を減らすことができる。これが我々が提案し、北島康介選手が実現した平泳ぎでのストローク数削減の根幹テクニックなのである。水中で進むこときは大きな水の抵抗を受けている。惰性進行時に急に速度が落ちてしまっては逆効果になってしまう。この局面での姿勢の取り方はきわめて重要となる。抵抗の少ない惰性進行姿勢をストリームライン姿勢という。いわゆる流線型である。姿勢の取り方が十分であればかなりのあいだ進行速度を持続することがわかっている。上手に姿勢を取れないと、水からの抵抗のためすぐ進行速度が落ちてしまう。一度落ちてしまったら、キックや「かき」で挽回するのは困難である。ストロークを減らしてタイムアップを計るなどとはとんでもない話になる。
 1年後の日本選手権、男子100m平泳ぎ決勝レースの直前、私は担当のHコーチと2人で観客席にいた。「どう!その後の調子は?」との私の語りかけに、Hコーチは「まぁ、レースをご覧になってください!」と余裕の笑みを浮かべて答えた。Hコーチはプールサイドのコーチ席に移動し、一人になってレースが始まった。前半から後半にかけて観客席から静かなどよめきが起こった。北島選手が、ゆっくりと見える大きなストロークにもかかわらず他を圧倒的に引きはなし、1分1秒31という画期的な日本新記録でゴールしたのである。観客性のどよめきはしばらく収まらなかった。もちろん私は観客席でレースを見ながらストローク数を数えていた。なんと行き(前半)21ストローク、帰り(後半)23ストロークで、合計44へとなっていた。今まで56ストロークもかかっていたのが44へと。驚愕であった。1999年の日本選手権男子100m平泳ぎの表彰式のあとでの寡黙な選手とコーチは、その後の1年間の努力で、結果的に世界を震撼させる泳ぎを実現したのだった。


                      図3.一直線姿勢の進歩
        
 図3は、その1年間の北島選手の一直線技術の進歩である。彼とコーチがどうやって訓練したかは分からないが、2000年の時の映像は、彼の姿勢が見事な一直線になっているのがわかる。1999年の100mレースでは、行き27ストローク、帰り29ストロークの合計が56であった。2000年には、前半21ストローク、後半23ストローク、合計44へとなった。総ストローク数差は12ストロークとなり、その時の彼の停止時間は0.12秒であったで総停止時間の短縮は 0.12×12=1.44秒 となった。1999年のタイムが1分2秒73、2000年が1分1秒31なので、この1年間のタイムアップは1秒42となる。実にタイムアップが一直線技術習熟で実現したのであった。
 私はこの時点で、「こいつら(彼とコーチの意味)タダ者ではないな!・・・まだ彼の現在の停止時間は0.12秒、世界のトップ水準は0.07秒前後。0.05秒の短縮の可能性がある。それが実現すると44ストローク×0.05は2.2秒。現在タイム1分1秒31から2.2秒を引くと59秒1になる。凄いタイムになる。当時の59秒9の世界記録を0.8秒も上回る。なんということだ、なんということ、なんと・・・。」と一人で呟いていた 喜びより大きな期待で興奮しきっていたのだった。

2.「思う」ことが世界記録を生む!
1)手応えを感じる!
 2000年の日本選手権で日本記録を樹立した北島康介選手。一見ゆっくりとしたその泳ぎが実は速い。誰もがこの時誕生した若い選手の才能に驚いたものだった。
 実は、この大会はその年に行われるシドニーオリンピックの選手選考会であった。水泳のオリンピック代表選考は一発勝負である。この大会の各種目の上位2名が選考される。高校2年生だった北島選手は晴れて日本代表となった。オリンピックに出られるのだ。多くの選ばれた選手が喜びの声を語っていた。
 しかし、彼の表情は違っていた。試合が終わって片付けをしているとき、彼とコーチが来た。2人の顔つきは違っていた。
・・・「今日のレースで手応えを感じました。世界記録を狙います!」・・・。
 そのときの北島選手の目は、正に世界記録という獲物を狙う百獣の王ライオンの目つきであった。世界記録が目標になったとき、オリンピック出場は単にステップにしかなかった。生まれて初めてのオリンピック出場に浮かれて喜ぶ表情はなかった。
 その日の日本記録は1分1秒31、当時に世界記録は59秒95、実に1.36秒もの差である。レース距離差に換算すると2m30cmの差になる。身体1つ以上の差。極限のレースでのこの差。遥かな頂上を阻む大きな壁に思えた。
2)「思う」ことから始まる!
 普通の選手は、オリンピック出場が決まると大喜びである。しかし彼の「思い」は違った。世界記録という人類未踏の壁を狙うという強い「思い」が湧き起ってきたのであった。正に天才的才能を持つ選手の特別の発想であると思う。
 今考えると、彼はゴールして自分の出した記録を見て、そのとき私が観客席で受けていた停止問題について同じように考えていたのだと思う。そして世界記録の手応えを強く感じたのであろう。彼はゴールしたその時、勝利を挙げたライオンにように雄叫びを上げた。観客席もテレビ観戦の方々も圧倒されてしまった。しかしおそらく勝利をあげたことよりも、世界記録への挑戦の雄叫びであったのだと思う。
3)真剣な「思い」が多くの人を引きずり込んだ!
 このレースが終わって、世界記録への真剣な「思い」をもった北島選手。本人も支援してくれる多くの周辺の方々の行動パターンが大きく変わった。北島選手は、多くの場で「世界記録を出す」という真剣な「思い」を打ち明けたのであった。レースでのあのゆっくりとした泳ぎでの大幅な日本記録の突破。「北島選手は天才である」との評価が定着したのはいうまでもない。マスコミも騒いでいた。その中でのこの発言は多くの人の心を打った。「あの天才がマジに世界記録を狙う。もしかしたら実現するのでは?」と彼の真剣な「思い」が人々を引きずり込んでいった。筆者を含めて、専任コーチ、筋力トレーニングコーチ、マッサージ担当者、合宿の食事担当のオバさん、スイミングの仲間、ナショナルチームの総監督、水泳連盟のお偉いさんの方々などと。
 ・・・「天才が本気で世界記録を狙う。オレ達も手を抜くわけにはいかない。」となって行った。・・・
4)康介選手の泳ぎを創る!
 それから数ヶ月経ったある日、総監督から飲もうとおさそい電話があった。大塚の行きつけの飲み屋に行ってみると専任のHコーチも一緒だった。ジョッキが来て「さぁ乾杯!」というとき、監督が「飲んで酔う前に言っておきたいことがある。」とジョッキをおいて真剣な表情になった。「君たちはスロードノフ(当時の世界記録保持者:ロシア)の解析を行っているようだが、すぐやめて欲しい。スロードノフの技術がわかってその通りやってもスロードノフのレベルを超えてしまうわけではない。泳ぐのは康介だ。康介独自の泳ぎを創り出すのがもっとも重要なのだ。」
 ・・・監督のこの言葉は私に衝撃を与えた。「そうだ!そうなのだ!泳ぐのは康介なのだ!何を考えていたのだろう。孝介の泳ぎを創る!こちらには進行停止問題がある。世界はこれだけ整理して考えていない。停止問題対策で戦うのだ!」・・・
 北島選手の「思い」に引きずられた多くの人々。私もその一人。
 その後足引き深さが31cmになって進行停止時間は0.07秒になった。天才少年が着実に問題をクリアーして大きく進歩していた。もう我々は世界記録は確実と考えていた。
 2008年8月のパースでの世界選手権、59秒71の世界記録の誕生である。前人未到の記録。世界をあっと驚かせた「ゆっくり泳ぎでの世界記録」だった。世界の王者北島康介選手の誕生であった。

3.北島康介選手に学んだこと!
 天才的な北島少年の登場で、われわれは 「思うということですべてがはじまる」ということを学ぶことになった。
 もし彼が、2000年の日本選手権で、シドニーオリンピックの出場が決まった時、普通の選手がオリンピックの出られることに大喜びをしていた時、世界記録への「思い」を胸にしていなかったら、おそらく世界に君臨する北島選手は誕生しなかったと考える。天才的な少年の真剣で熱い「思い」とそれにまい進する姿に、多くの人々が引きずられていくことになった。そして、天才の真剣な努力と、科学の力と、多くの人々の力の結集で大記録と大選手が生まれたのであった。
 「思う」ことから始まる。思わなければ始まらない。「思う」こと。本気で「思う」ことが人生を創るのではないだろうか。今考えると、この少年から人生の重大な1つの鉄則を教えられたような気がする