情報コード  DE1
情報登録日  2019/03/15
情報作成者  河井正治


Episode Ⅰ

 ・・・・世界と戦ったアテネオリンピックの科学の力・・・・           

1. 速度変動図
 EpisodeⅠを明確に理解してもらうためにまず速度変動図を説明する。
 泳ぎを科学的に考えるためには、動作や進み方を数値でとらえる必要がある。例えば、これから世界と戦おうとしているA選手を世界トップのB選手に比較する場合、ただ単にレースタイムで比べるのでは、何が違うのでそんなにタイム差が出ているかを知らなくてはならない。ただ速い遅いというのだけではなく、どんな動作で加速し、どんな動きで水の抵抗ブレーキがかかってしまうか、それが選手によってどう違っているかを知ることが必要である。そのため、選手の進行速度が刻々とどう変化しているかを認識するための手段が必要である。 
選手の泳ぎを定量化する手段として「速度変動図」を提案した。これが水泳ニッポン復活の決定版となったと考えている。速度変動図とは、1ストローク進行を0.1秒ごとに区切ってその瞬間の速度を計測し、横軸が時刻、縦軸に速度をとった座標にプロットし、それを繋いで折れ線グラフにしたものである。どの動作の瞬間にどのくらいの速度になったかが判別できる。図1は、北島選手が初めて世界記録を出した時のレースの25m付近の1ストロークの速度変動図である。

                図1.速度変動図と動作との対応
  
 下段の映像は、そのときの彼の連像映像であり、○番号はグラフに対応している。グラフと映像を対比してみると、1ストロークの中で動作と進行速度の変動の状況が良くわかる。グラフの①が1ストロークの中で最も進行速度が遅くなっているところであり、それは下段映像から足引きが最高に達したところであることがわかる。以下同様に③ではキックで加速されて速度が2.0/秒となっている。これは平泳ぎキックでは世界最高水準である。➅では「手のかき」のため腕を広げて水流が肩に直接当たる抵抗のため、すこし速度が落ちている状況がよくわかる。⑨は「手のかき」で最高速度2.57/秒になっている。これも世界最高水準である。⑪の足ひき最大で再び最も進行速度が遅くなった。このように動作と加速・減速状況が明確に判読できる。我ながら素晴らしい手法であると感心する。
 
2.ストロークが基本
 岩崎恭子選手がバルセロナオリンピックで金メダルに輝いた女子200m平泳ぎでは97ストロークで泳いだ。北島康介選手のアテネでの彼にとって初めての金メダル種目の男子100m平泳ぎでは39ストロークであった。競泳競技では1ストロークを基本としてそれを繰り返して進む。結局、速い遅いは1つ1つのストロークの速度や進み方の集積で決まることになる。そういった意味で基本の1ストロークが極めて重要になる。
 図2は、ストロークの積み重ねについて考えたものである。

              図2.ストロークが基本

上段の2つのちょっと長さの違うアレイを比べるとその差は僅かなものである。しかし下段のように6つ並べて重ねてみると大きな差になってしまう。バルセロナでは岩崎恭子選手が99回、アテネでは北島選手が40回ストロークを重ねて泳ぎ切った。多分、金藤選手もリオの女子200m平泳ぎ種目で80~数回泳いで金メダルに輝いたものと思う。
 つまり、戦いは泳ぎ込んで体力や力強さを訓練するだけでなく、「1ストロークをどう組み立てて速さを確保するか」を戦略的に検討し、訓練でそれを実現することが極めて重要なのである。北島選手のアテネでの戦いを見てみよう。

3.アテネへの北島戦略
 当時、北島選手は、5名の専門家集団がチームを組んで強化を支援していた。チーム北島と呼ばれてオリンピック前から注目されていた。専任コーチのH氏、技術を担当した筆者、レース分析担当、筋力トレーニング担当、マッサージ担当の5者であった。

                 図3.アテネ戦略会議

 アテネオリンピックのほぼ1年前の2003年9月、チームでの戦略会議が行われた。白熱して大声を出すほどの熱中した雰囲気になった。
 図3は、その時の会議の進行を記録したものである。会議のテーマは「どうやってアテネを戦うか」であった。
       

 北島選手の思いは「金メダルをとる」、「再び世界記録を出す」であった。当然だと思った。状況の分析をした。当時の100m種目の世界記録は、本人自身が出した59秒78であったが、ライバルのアメリカのハンセン選手や他数名の選手が1分を切っている状態であった。決勝での戦いは、多分59秒台の
前半だと思われた。
 世界の大きな戦いでは突然すごいタイムを出す選手が出没することが度々起こっているが。想定を59秒3~5とした。最終的に戦いの戦略を、「100mではスピードをつけて勝つ」。「200mもその配分をうまくやって勝つ」となった。実現のための戦略は、「かき」の強化ということになった。
 強化チームで事前に戦略をたてて望むというケースは日本でもあまりないことだと思う。
(結果的に、後日北島康介選手のアテネでの成果を踏まえて、このチーム全員で2004年「秩父宮記念スポーツ医科学功労賞」を受賞することになった。)
 
4)戦略的訓練
 「かき」の強化は極めて戦略的に行われた。図1の速度変動図の「かき」の部分を取り出して表示したものが図4である。⑨の鋭い「かき」動作で最高速度が2.57m/秒と世界最高水準に達した直後、⑩では、1.88m/秒と落ちでいる。0.1秒間計測なので、僅か0.1秒後には0.69m/秒も速度が落ちているのである。これは、今の腕力で精一杯反動的に「かき」動作が行っているため、「かき」終了時が反動動作終了時になって急に加速がなくなってしまっていることを物語っている。反動的に「かき」を強く行うのは腕力がない場合の高度なテクニックである。康介選手の才能がわかるデータである。
 しかしもし、腕力が十分にあって強い「かき」が出来る場合は、反動で最高速度になっているわけではないので、「かき」動作で徐々に速度が上がっていって最高速度に達しても、動作が急に終了とはならず、しばらくは継続的に加速状態が続き徐々に速度が落ちていく状況になる。図5のように、もしこれで⑩の速度を0.3m/秒くらい上げることができたら、この0.1秒間に3cm多く進むことになる。彼は100mレースでは約40ストロークなので、3cm×40=1m20cmとなる。つまり、ゴール地点では1.2m前に進んでいることになる。彼の世界記録の時の平均泳速は1.67m/秒なので、タイム換算では0.71秒短縮となる。彼の出した世界記録が59秒78なので、腕力強化で「かき」が十分に強く行われたら、59秒07という驚異的な世界記録樹立が実現できるであろう。これが会議の結論的戦略であった。

        図4.「かき」の弱点            図5.強化ポイント 
                  
当然オリンピック前の冬の練習では、腕力の強化作戦が密かに精力的に行われたのはいうまでもない。
 アテネオリンピックの4か月前、国内のオリンピック予選会を兼ねた日本選手権大会が行われた、図6はその時の男子100m平泳ぎ決勝の計測データである。

 


                   図6.北島選手の進歩
 
この時国内大会なので彼は圧倒的に強さを誇り正に独泳状態で勝利した。この試合で彼は世界記録を狙うより訓練の仕上がり状態に注意をして泳いだようである。この時の速度変動図をわかりやすいように○番号を図1に揃えて表示した。⑩の速度は2.18m/秒で野戦略的な狙いが見事に実現されていた。すごいことである。これが天才といわれる北島選手の才能であり、それを実現させたHコーチの腕であった。この時点で、選手とコーチ、我々チーム一同はアテネでの金メダルを確信したものであった。

5)金メダルへの道!
 「さぁ、アテネでの戦いだ!」金メダルの戦いも戦略的に行われた。
 今までの経験で、現地では日本選手のレース映像は手に入れることが困難である。当然のことだが、中継放送は自国選手のレースしか行われない。日本やアメリカ等の他国選手の映像は、決勝に自国選手が残っている場合は放送されるが、それでも自国選手が中心となる。現地テレビでは日本選手の映像が流れることがほとんど皆無である。日本選手の映像を手に入れるのは日本選手を中心にした日本国内での中継放送での映像がもっとも簡単なのである。そこで図7のような体制が取られた。

                     図7.オリンピックの戦い
     
 大切なのは、筆者のデータの解析技術が放送映像でも速度変動図を作成できるほどに向上していたことである。

 アテネでのオリンピックの戦いの状況は、実際のメールの交信記録を見るとよくわかる。以下、更新の記録を時系列的に並べてみた。アテネでの戦いの様子が読み取れるであろうか。なお、そのときの速度変動図は省略する。文章から状況を推察して欲しい。


 そして、運命の8月15日金メダルへのスタートである。
 まず予選が行われた。直後の解析結果を知らせるメールである。



 翌2004年8月16日、ニッポン水泳界にとって歴史歴に残る100m平泳ぎの決勝が行われた。そして北島康介選手が優勝した。
・・・ あぁ、運命の金メダル!「なんという感激!なんという嬉しさ!」・・・・
 残念ながらタイムは世界記録ではなかった。1分台の平凡なタイム。
 アテネの水泳会場は小高い丘の上。10m以上の強風の中のレース。平泳ぎは正面に向かって水面すれすれの呼吸をする。「水を飲んだらおしまいだ!」
 レース出場選手全体が平凡なタイムであった。
 それでも金メダル!価値ある金メダル!


 図8は、そのときの決勝の速度変動図である。ご参考に!
放送映像の解析なので、速度の測定分解精度が0.1m/秒になってしまったが、状況判断には差し支えがない。

          図8.北島選手のアテネオリンピック男子100m平泳ぎ決勝
   
 コーチから喜びの声が淡白に来た。まだ200mもある。緊張が続いているのだろう。

 


 そして8月18日、200mの戦いです。予選・準決勝が行われました。データからみて康介選手の勝利は間違いないと確信していました。準決勝後のメールです。

 


準決勝後、ハンセンが3番目で、2番目は予測もしなかったハンガリーの新鋭ギョルタ選手だった。今まで名前も知らなかった選手だった。早速、解析を行った。泳ぎは世界のトップ水準であったが、康介選手に勝る技術の持ち主ではなかった。(その後彼は成長し、8年後のロンドンオリンピックの200m種目で金メダルに輝いた。)
 この解析で、まだ勝負前ではあるが、北島康介選手の金メダルを確信することになった。


   
 そして翌8月19日、康介選手の2つ目の金メダルが誕生した。前日からの予想もあって、「やっぱり勝ったな。」と大きな感動はなかった。たまたまテレビ観戦している筆者を収録中のテレビ局のディレクターが、「もっと大げさに喜んでくださいよ。」と催促されたのを記憶している。世界記録は出なかったが、2つの金メダルという大きな成果を上げたアテネのオリンピック。最後のメールを打ち終わって大きな安堵のため息が出た。


   
 嬉しい返事が帰ってきた。


   
 アテネと東京で戦ったオリンピック。その状況をご理解いただけだろうか。
 この戦いでわかったことが2つあると思う。1つは、スポーツの戦いに科学の力が大きく貢献するということである。戦いの状況をみてわかったと思う。もう1つは、オリンピックの金メダルという栄光は、選手本人の絶大な努力とそれを直接指導したコーチの力で実現したことは言うまでもないが、その周辺の携わった多くの方々の情熱と努力の集大成があったということである。ナショナルチームの監督、水泳連盟の方々、練習場の維持スタッフ、チーム北島のメンバー、その家族や友人などなど、合宿所のオバサンまでが。多くの関係者の情熱が金メダルを生んだのである。どんな戦いの栄光にも1つ1つに感動のエピソードがあるのだ。